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三千世界の烏を殺し 主と朝寝がしてみたい
都都逸といえばこれというくらい、有名な歌だと思います。内容は、花街での遊女に対して客が想いを歌ったもの。高杉晋作の作だといわれています。
三千世界とは、仏教用語で「あまたあるすべての世界」。遊郭で朝を向かえ、まだ薄暗いうちからカラスの泣き声に起こされた男が、こんなうるさいカラスどものいない世界で、愛しいお前と心行くまで朝寝がしてみたいとつぶやく。
恋愛になぞらえてみると、カラスとは周囲の干渉。ふたりだけの世界に浸りたいのに、世間がそれを許してくれない。あいつらさえいなくなりゃ、存分に愛し合えるのにといった繰言を、恋人の耳元で甘く囁く。
障害が大きいほど、恋の炎は燃え上がる。結ばれない運命の二人だからこそ、次はないかもしれない逢瀬に想いをぶつけ合い、一瞬の愛の中に永遠を見る。
それにしても、朝のカラスって無粋ですよね。今朝も窓のすぐ外に来て鳴かれて、それで起きちゃいました。殺すというのは過激ですが、少なくとも朝はどこかに行って欲しいものです。
惚れて通えば千里も一里 逢わで帰ればまた千里
恋愛においては、とんでもないエネルギーが発揮されるものです。その最中にあっては、疲れを感じない。しかし、それはあくまでも希望が感じられる時に限られます。
相手の言動に失望してしまうと、それまでの反動で一気に疲れがやってきます。それでも、失望というレベルならいいのですが、絶望にまで落ちてしまうと万里にもなりましょう。
また、人間が生きる上でもエネルギー保存則はあるので、恋愛にそれだけのパワーを費やすということは、他にしわ寄せがくることが考えられます。
もちろん、恋愛で気持ちが前向きになって活力をもらう側面もあるのですが、それは千里も一里状態の恩恵なので、恋で傷つくと他もすべて失速する危険はあります。
そんなことを言っていたら、恋なんか出来ないというのも事実ですが。
諦めましたよ どう諦めた 諦めきれぬと諦めた
恋は思案の外とはよく言ったもので、理性的に考えると決して理想的な人とは思えないし、苦労ばかりしている現実がある。なのに、何故だか諦めきれない。
あれは、本人が諦めたくないと思っているんですな。例えば、本心から禁煙したいと覚悟を決めている人間は、面倒なことでもするし、タバコを絶たざるを得ない状況を作るものです。
それが出来ないということは、自らその状況の存続を選んでいる。すべての恋がそうだとは思いませんが、中毒による禁断症状という側面もあるでしょう。
恋愛関係そのものに依存してしまうのは、怖いですよね。
いうなれば、世阿弥のいう「離見の見」という感じでしょうか。
恋愛では、一歩引いて自分や二人の関係を見つめなおすことが破局を迎えないコツの一つだと思うので、都々逸の視線は役に立つ気がします。